公益社団法人 日本脳卒中協会 顧問(元 参議院議員)石井 みどり公益社団法人 日本脳卒中協会 前副理事長 端 和夫 私は1998年に日本脳卒中学会総会を開催する機会があり、その時に、当時の厚生省では、脳卒中が非常に小さな扱いしか受けていないことを知りました。今まで脳卒中の臨床に人生のほとんどの時間を費やしてきたと思っていましたので、これは受け入れ難いことでした。そこで脳卒中の社会的地位向上をということで、日露医学交流の関係で知己を得ていた中山太郎代議士に陳情し、脳卒中の重要性を訴え、支援をお願いに行きました。その結果、山口武典先生が座長の「脳卒中対策議員懇談会」ができ、脳卒中の臨床研究に予算が計上されたり、SCUの補助金など目に見える成果があり、政治活動の重要性をはじめて認識しました。そして2002年に山口先生と中山博文先生に勧められて脳卒中協会に参加しました。その後、rt-PAの承認で、当局が繰り出す様々な規制の提案に対し、全国の脳卒中協会支部の力を借りて各地でrt-PAの講習会を開催し、2005年にまあまあ順調な体制で承認を迎えることができました。また循環器病対策基本法は脳卒中協会がなければ実現していません。 できるだけ多くの人が高度な医療の恩恵にあずかれる環境を作るには、医科大学で教えられる知識や学会の論議とは全く別の視点とエネルギーが必要であることを、私は脳卒中協会から学びました。山口先生、中山先生、皆様、有難うございました。 峰松理事長に率いられた新体制の脳卒中協会の活躍により、脳卒中を巡る医療環境の新たな展開を拝見することを楽しみにしております。 日本脳卒中協会創立25周年、誠におめでとうございます。 協会のこれまでの歩みの中、2007年以来、脳卒中対策立法化を目的にお付き合いが始まりました。この間、様々な活動を共に行いました。私自身が参議院議員の本分としての国会質問や脳卒中政策サミットといった国会外の活動もありました。立法府を目指した原点ともいうべき医療政策の一つでした。 1999年2月に脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症しました。幸運な事に医療体制の充実した広島市内中心部に住んでいたこと、また出血量が少なくさしたる後遺症も残らなかったことです。しかし当時の医療政策、医療法制では脳卒中の予防や超急性期から維持期に至るまでの全国を網羅した医療やリハビリ、療養支援の体制が極めて不十分でした。 苦節10年ならぬ12年を経て2018年12月10日第197回臨時国会最終日に「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」がやっと成立しました。人間不信に陥りかねない国会議員の不誠実や思惑、又政党間の駆け引きやご都合主義等々に二転三転いや四転五転と翻弄された12年でした。 2020年にはこの基本法を根拠法として循環器病対策推進基本計画が策定され、COVID-19の疫病禍の影響でずれ込んだところもありますが、2022年全国都道府県に循環器病対策推進計画が策定されつつあります。また日本脳卒中学会が全国200〜230か所を拠点病院として認定するとしています。 基本法にもとづき脳卒中医療の環境も改善されつつありますが、まだまだ協会はやるべきことがあり、基本法の改正やパンデミックへの対応が課題として待ち受けています。これからも同志として共に汗を掻いていきたいと思っています。設立25周年の祝辞 ―脳卒中協会で学んだ事―祝 辞
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