日本脳卒中協会(以下、協会)は創立25周年を迎えました。私が理事長を務めるのは2016年からなので、協会の歴史の約1/4に過ぎません。全歴史に関わってこられたのは、間違いなく山口顧問(前理事長)と中山博文副理事長のお2人です。 中山氏は、1991年から2年間デンマークに留学、Copenhagen Stroke Studyに参画されました。当時わが国には、幾つかの脳卒中患者地域団体や日本脳卒中学会はありましたが、予防のための広報・啓発や患者支援など、幅広い活動を目的とする全国組織は存在しませんでした。帰国した中山氏は、欧米の「脳卒中協会/財団」をモデルにした団体を、日本国内に設立することを思い立ち、京都大学名誉教授、住友病院病院長の故亀山正邦氏、国立循環器病センター(以下、国循)副院長の山口武典氏と相談、お二人を会長、副会長、自らを事務局長とする日本脳卒中協会が発足しました。山口氏の後任として国循脳血管内科部長に就任した峰松は、「脳卒中協会設立の相談を受けている」と山口副院長から話を聞いた記憶があります。自分自身が後にその団体の責任者になるとは想像していませんでした。 協会設立時に、英国、ドイツ、デンマークの脳卒中協会・財団の代表、国内患者組織の代表が招かれ、「設立記念国際シンポジウム」が開催されました(1997年5月31日)。しかしその後、10周年、20周年の記念事業は行われていません。10周年目(2007年)は、支部設置の最終段階でした。20周年目(2017年)は、「脳卒中・循環器病対策基本法(以下、基本法)」法制化運動が本格化し、大規模な国会集会も主催しましが、果たして基本法が成立するのか否か、全く見通せない状況でした。この間峰松は、2008年の「脳卒中対策検討特別委員会」の委員長を、また協会推薦枠で世界脳卒中機構理事を務めました。山口、中山両氏による基本法法制化のための厚生労働省、国会(議員会館)詣でにも何度か付き合いました。そうした経緯で、2016年に理事長職を引き継ぐことになりました。 現在の支部体制は2008年に完成し、基本法は2018年12月に成立しました。しかし、2019年末より3年近く猛威を振るい続ける新型コロナ感染症は、協会の活動や財政基盤等にも大打撃を与えています。何よりも、予防・啓発活動の根幹である対面での講演会や相談会、各種キャンペーン活動、患者会などとの共同活動などが大変難しい状況が続いています。 そして25周年、2022年を迎えました。2001年より5月最終週に定めて実施してきた「脳卒中週間」キャンペーンを、2021年より10月1ヵ月間の「脳卒中月間」に変更し、10月29日の「世界脳卒中デー」と連動させて、「太陽の塔」などの各地の建築物、モニュメントのライトアップ活動など、啓発活動を盛り上げています。協会は今、間違いなく大きなターニングポイントを迎えています。2018年のJSA News(第53号)の巻頭言で、中山博文氏は、「(協会)発足時は、文字通りゼロからのスタートでした。あったのは志とそれを同じくする同志だけ、数人から始まった同志が徐々に増え…」と書かれています。25年がたった現在、同志は全国に広がりましたが、医療従事者、患者・家族、一般市民などの同志をさらに結集する必要があります。 この記念誌刊行事業の目的は、これまでの25年間の活動を記録し、協会の「過去・現在・未来」を議論し、この先25年間の方向性を定めることです。記念誌作成に当たって、皆様のご協力に、深く感謝致します。公益社団法人 日本脳卒中協会 理事長 峰松一夫ごあいさつ
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