とに日本脳卒中協会サノフィ賞を設け、脳卒中患者・家族に対する教育・訓練・社会参加への支援活動を促進するための活動に貢献した個人あるいは団体を顕彰してきました。私が個人的に非常にうれしかったことは、日本脳卒中協会のキャンペーンを見たおかげで、すぐに救急車を呼ぶことができましたという声を聞けたことです。やっていてよかったなぁと思います。司会 峰松さんは、日本脳卒中協会のこれまでの活動について、どのような印象をお持ちでしょうか。峰松 一般市民への啓発、それに患者家族支援活動ができていること、この意義は非常に大きいと思います。しかも、その大半はボランティア活動という形で、多くの方が積極的に参加しているというところに感銘を覚えています。ただ、日本脳卒中協会の資金と人材には限界があり、やりたいことが充分にはできていません。この後話題として出てきます、脳卒中・循環器病対策基本法のもとで、行政や他の団体を巻き込んでいく必要があるというところに到達したのだと思います。司会 川勝さんは、過去に脳梗塞を発症し、リハビリテーションを経て社会復帰をしたという経験をお持ちです。現在、日本脳卒中協会の副理事長という立場で活動していらっしゃいますが、これまでの日本脳卒中協会の活動に関して、いかがでしょうか。川勝 私は2004年の9月に脳梗塞を発症しました。その後、入院治療とリハビリテーションで、幸いにも社会復帰ができました。しかし、脳卒中についての、私の疑問や不安には誰も応えてくれませんでした。そこで、自分なりに勉強をしました。さらに、当時在籍していた会社が保険会社だったのですが、社内で脳卒中に関する勉強会をやってみたのです。それが評判を呼び、全国の支社で実施し、さらには日本脳卒中協会との協同事業として啓発活動を実施するまでに発展しました。 そうした活動を通じて、一般市民の皆さんに届ける情報のあるべき姿はよくわかりましたし、広く市民の皆さんに啓発活動を続けることが大事で、これこそが日本脳卒中協会の存在価値だと実感しています。司会 藤井さんは、医療ソーシャルワーカーとして、どのような印象をお持ちでしょうか。藤井 医療ソーシャルワーカーとして、患者さんやご家族のご相談に対応させていただくことが多いのですが、日本脳卒中協会でも開設している相談窓口はもちろんのこと、各地で、患者さんやご家族を支援する体制はすごく整ってきていると思います。 日本脳卒中協会に関しての印象深いこととしましては、ある時期までは、大阪市内では脳卒中を発症した若い方が、障害福祉制度を活用して社会復帰しようとすると、発症してから半年経たないと、この制度が使えないという状況だったんです。その状況は実態に即していないということで、大阪の脳卒中医療連携ネットワーク、日本脳卒中協会、それに私たちのソーシャルワーカーの団体とで相談し、大阪市に働きかけて、3ヵ月の経過で制度が使えるという基準に変えてもらうことができました。 日本脳卒中協会の活動目的として、「脳卒中に関する正しい知識の普及および社会啓発による予防の推進ならびに脳卒中患者の自立と社会参加の促進を図り、もって国民の保健福祉の向上に寄与する」と謳われています。私はこのフレーズがとても気に入っています。これこそ、リハビリテーションやソーシャルワークのマインドであり、それを具現化されている多くの先生方には感謝しかありません。司会 日本脳卒中協会の実務も担当されている竹川さんはいかがでしょうか。竹川 日本脳卒中協会が実施してきた相談事業は、すごく重要だという印象があります。今、日本脳卒中学会の脳卒中相談窓口や、厚労省の脳卒中・心臓病等総合支援センターでのモデル事業において、相談支援が挙げられていますが、日本脳卒中協会の相談事業がとても影響力があったのだろうなと感じています。川勝 弘之
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