帰国後、その報告を兼ねて、ここにいらっしゃる山口先生に相談をしました。すると、山口先生も、そういう組織は是非とも作らなくてはいけないと賛同して下さいました。その後、亀山正邦先生や脳卒中の患者会の代表をされていた方、さらにはマスコミ関係の方にも意見を伺い、脳卒中に関する様ざまな職能団体にも声をかけさせていただいて、1997年の3月に、日本脳卒中協会設立のための理事会を開催し、設立したという経緯です。 最初は、市民シンポジウムと電話相談、この2つで活動を開始しました。やがて、2000年から支部ができ始め、徐々に全国各地に支部ができていき、2008年には、全国46都道府県と2つの政令指定都市に支部が開設されました。司会 山口さんは当時を振り返ってどのような思いがおありでしょうか。山口 脳卒中に関する市民講座を様ざまな地域で実施したのですが、当初、私は、市民講座による啓発が、本当に効果があるのか、疑問に思っていました。そんな時、NHKの岡山放送局で、脳卒中に関する短い番組、まるでコマーシャルのような啓発の番組を、1日に2回、それに10数分の啓発番組を岡山県内で一定期間、放送していただく機会を得たのです。すると、そういう番組を視聴者が見た地域と、見ていない地域とでは、脳卒中の啓発に大きな違いがあることが明らかになったんです。そうしたことから、私は啓発活動に自信とやり甲斐を感じたことを今でも覚えています。司会 峰松さんは山口さんの後任として現在日本脳卒中協会の理事長でいらっしゃいますが、中山さん山口さんのお話をお聞きになっていかがでしょうか。峰松 本脳卒中協会が設立された頃、私は国立循環器病センターで仕事をしていました。国立循環器病センターは、循環器の専門病院ということで、最初から脳卒中ユニットの体制を取っていました。けれども、国内ではそういう形でやれているところはほとんどありませんでしたし、血栓溶解療法も、国内で治験は実施されていましたが、国内導入はまだまだちょっと先という状況でした。また、脳卒中学会という学術団体はありましたが、残念ながら研究活動が主体でした。ですから、一般の方に対する予防啓発や、急性期を経ての回復期、あるいは在宅の生活期の患者さんの支援という観点がほとんどなかったと思います。結果的に、それを日本脳卒中協会が引き受ける形になりました。 私は、日本脳卒中協会設立時は、一般会員に過ぎませんでした。当時、この協会は何をするところなのだろう、などという漠然とした印象でした。しかし、今ではまさに隔世の感で、この25年間に、日本脳卒中協会は、過去には想像もできなかったような多くの仕事を成し遂げてきました。テーマ司会 日本脳卒中協会は設立以来、脳卒中の予防啓発と患者さんやご家族の支援活動を柱としてきましたが、具体的にどのような活動をしてきたのでしょうか。中山 まず予防啓発活動の代表的なものとしては、脳卒中市民シンポジウムを、毎年都道府県を変えて開催することと、各支部で市民講座をしていただくということが啓発の柱になっておりました。そこでは、予防と、発症時にすぐに病院に行っていただくことを中心に伝えてきました。 また、2006年度から2015年度までの間の8年間、ACジャパンの支援キャンペーンを展開させていただきました。同じく全国規模の啓発としましては、脳卒中週間および脳卒中月間、心房細動週間のキャンペーンというのをやってきました。 そして、患者家族支援につきましては、電話やFAXを使った相談、そして脳卒中の患者さんご自身の闘病体験や家族の介護体験を募集し、その優秀作品を選考して、多くの患者さんやご家族の参考にしていただくために入選作品集を発行し、WEBサイトに掲載しています。今年は、その入選作品集を全国の公共図書館に送らせていただき、図書館でも閲覧していただくように進めております。 また再発予防や患者さんの社会復帰を促進したいということで、製薬会社のご協力のも山口 武典2日本脳卒中協会の実績
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